9.23.2011

♬カナリア諸島にて by 大滝詠一

皆様はじめまして。きままに好きな音楽を取り上げるブログをスタートさせました。ブログを始めるにあたり、このたびの東日本大震災で被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。



 さて、初回を飾るにふさわしいアーティストは音楽性だけでなく、生き方、物事の考え方にも強く影響を受けた、人生の師匠、大滝詠一さん1981年発表の大傑作アルバム「 A LONG VACATION」から、♬カナリア諸島にて をピックアップします。
君は天然色 / カナリア諸島にて(EP盤)
今年の3月21日で「ロンバケ」リリース30周年でして、華々しく30周年記念事業を展開しようとされていた矢先にあの「3.11」が起こってしまいました。師匠の故郷、岩手県奥州市も甚大な被害を受け、心を傷められた師匠は予定していたすべてのラジオ出演等をキャンセルされてしまいました。なのでせめて当ブログでは師匠のナイアガラ関連の作品群をたくさんピックアップさせていただこうと思ってます。
大瀧詠一
出だしの「薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて〜」という歌詞が
リゾート感を抱かせてくれますね。

カナリア諸島にて
  • 作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一 編曲:多羅尾伴内




大滝詠一 A LONG VACATION  (1981)



1. 君は天然色
2. Velvet Motel
3. カナリア諸島にて
4. Pappi-doo-bi-doo-ba物語
5. 我が心のピンボール
6. 雨のウェンズディ
7. スピーチ・バルーン
8. 恋するカレン
9. FUN×4
10. さらばシベリア鉄道



概要

大滝詠一のアルバムでは最大のヒットを記録。1982年にCDが発売された後の、オリコン初のミリオンセールス作品でもある。1970年代までは一部のマニア受けしかしておらず、ほぼ無名に近かった大滝詠一の名が世の中の人々の間にも広まった。これは、音楽業界で「(ナイアガラでのソロ活動開始から)5年も売れなかったアーティストが突如売れるのは奇跡」と言われるほどの出来事だった。
ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』等とともに、CBSソニーから発売された初のCDアルバムのひとつ。日本のミュージシャンとしては初のCDアルバムでもある。(1982年10月1日発売。CD番号:35DH1、値段:3500円)。オリコン1位は獲得できなかったものの最高2位まで上がり、発売1年で100万枚を突破した。これは2006年の音楽市場規模に換算すると400万枚に該当する。しかし、本人はレコードに思い入れが強かった為、「結果的にCD普及を早めた」と自責の念に駆られた状態(本作の初CD化は、本人の意図ではなかった)になり、1985年3月に「どうせ無くなるなら早い内に」と言う事で、自身の全アナログ・シングル盤を廃盤にしてしまう。
全楽曲の作詞は、大滝本人による「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」を除いて、すべて松本隆が担当している。大滝と松本の2人がコンビを組むのは、ファースト・アルバム『大瀧詠一』以来のことである。本アルバムは、アルバムタイトルのイメージである夏、及び大滝の誕生日である7月28日にリリース予定であったが、作詞を担当する松本隆の妹が逝去したため、松本が詞を書くことが困難になり、「作詞を降りる」と大滝に告げる。大滝は「発売を延ばす。待つよ」と松本に返答し、9月に延長、さらにリリースは伸び、結局3月の発売となった。なお、販売延期に関しては以前レーベル契約していたコロムビアが1980年までナイアガラレーベルの販売権を持っていたことも影響していると推測されている。 (契約自体は1978年に終了していたが契約では「終了後2年間はコロムビアが販売権を持つ」とあったという。また、CBSソニーと契約した際、ナイアガラはコロムビアとの契約枚数がまだ1枚残っており、1980年に山下達郎が「RIDE ON TIME」をヒットさせたことでいわば後追いで発売された「TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA」で充足した。但し、2009年に「公認盤」が出るまで大滝も山下達郎も非公認扱いであった。)





0 件のコメント: